才能がない人がやるべきこと。【才能という言葉は誰のためにあるか】

才能がないのか 思考
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才能どうこうの話は、僕が大好きな話です。よって、心から思っていることを書きます。

そしていきなりですが、タイトルの問いに対して結論を出します。

才能がないなら、ただ努力するしかありません。

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勝ちたいなら努力するしかない

何かで勝ちたい、結果が欲しいということであれば、それは努力するしかないです。生まれつきの能力が低くてもです。

人は結果を見る生き物です。だから努力の過程なんて、評価の対象外です。

努力そのものが評価されるのなら、スポーツの世界大会や学校の定期試験に「努力賞」でも導入してくれって感じです(笑)

結果を出している人が結果を出せる理由

結果を出した人

世界のトップアスリートは所謂「結果を出している人」です。本人が「結果を出した」と自己評価しているかどうかはわかりませんが、大衆から見たら「結果を出している」でしょう。

では、そんな人たちはなぜ結果を残せたのか?無論

努力したから

ですね。才能があったからではありません・・・

でも実際才能があった方が成功しやすいんじゃ・・・

確かにその通りで、勿論生まれつきの能力には差があります。そして生まれつきの能力はが高い方が有利です。

しかしそれは、ちょっとだけ成功「しやすい」だけです。どれだけ優れた遺伝子があろうと、成功が約束された人間なんていません。

才能の意味

天才少年

才能という言葉について、今一度調べてみました。「goo国語辞書」によると

物事を巧みになしうる生まれつきの能力

らしいです。いかにも「才能」という感じの意味ですね。先天的に備わっている能力が才能だ、といった感じです。

ただ、googleの検索結果の一番上には

ある個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力

と出ました。なんかさっきとはニュアンスが違いますよね。なんか「頑張って出来るようになった」感じがします。後天的に努力で身に着けた能力が才能だ、という感じです。

おそらく、一般的に「才能」という言葉は、前者のニュアンスで使われることが多いでしょう。

「才能」という言葉は誰のためにあ存在するか

落ち込んでいる少年

なぜ才能という言葉は存在するのでしょうか。この世には、「誰も必要としない、誰も使わない言葉」はないはずです。

というか、必要のない、又は人が想像できない概念については、それを表す言葉は生まれていないはずです。

つまり、誰かが才能という言葉を必要としたから、誰かのために「才能」という言葉は生まれたのです。

じゃあ、誰のためにこの言葉は生まれたのか?どんな人がこの言葉を使い始めたのでしょう。

才能ある人のため?

才能ある人が、自分を表現するため、つまり「俺、こんなに才能あるんだよ!すごいでしょ!」というために「才能」という言葉はあるのでしょうか?

多分違います。そんなことを自慢げに言う人に限って、大体才能がないです(笑) 例えあっても、本当に価値ある結果は出せないでしょう。これは僕の経験からです(笑)

「才能ある人」を表現するため?

才能ある他人・結果を出した他人を「あの人は才能ある」と表現するために、「才能」という言葉は生まれた・使われ始めたのでしょうか(ややこしいな・・・)。

そうかもしれませんね。多くの場合、「才能」という言葉は、自分以外の誰かを表現するときに使います。

では、才能ある人・結果を出した人を「才能ある」と評価・表現する人間は誰でしょうか

諦めた人のための言葉

結果が出た人を「才能ある」と表現するのは、十中八九、成功した・結果を出した人の周りにいる傍観者です。それも恐らく、才能を羨ましいと思いつつ、自分はそこに行けないと諦めた人です。

そんな人たちが自分を諦めさせるため・言い訳するために使っているのが「才能」という便利な言葉です。

つまり「才能」という言葉は、諦めた傍観者が使うために存在する言葉です。

それに比べて、「努力し続けて、いつか花を咲かせてやる」と考えている人にとっては、「才能」なんてものは不要な概念・言葉です。そんなものあろうがなかろうが、自分のすることは変わらないですからね。

及川徹というキャラについて

一旦話が大幅に反れますが、僕の大好きな「ハイキュー!!」という漫画(週刊少年ジャンプの看板漫画ですね)に、及川徹(おいかわ とおる)というイケメンキャラがいます。

僕は基本的にイケメンとか嫌いなんですけど、この及川徹さんは大好きなんですよ。

その及川徹というキャラが、作中でこんなことを言っています(正確には「言って」はいないんですが・・・)。

才能は開花させるもの センスは磨くもの

この記事の初めの方で「才能の意味」を2つ解説しました。

一般的に「才能」とは、1つ目の意味で解説した、「生まれ持った能力」というニュアンスで使用されますよね。

しかし及川さんは後者の「ある個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力」、つまり「努力によって花開くもの」として「才能」という言葉を使っています。素敵・・・。

才能の認識は人によりけり

つまり、諦めない人にとっての才能とは「初めから備わっていると信じて、開花させるもの」です。

そして諦めた人にとっての才能とは「生まれつきの能力」です。

結論:才能の有無は自分次第

前述の通り、自分が努力する側であれば才能はあります(STAP細胞は・・・)。

仮に才能がない平凡な人間だとしても、「才能は開花させるもの」と考え前に進む人には、才能が眠っているんです。

そして自分が諦める側であれば、残念ながら才能は有りません。才能の開花を放棄しているのだから、当たり前ですね。

才能の有無にかかわらず努力できる人だけが、才能を開花させられる。というのが及川大先輩に感化された僕の考えです。

結論として、才能が無いと感じたら努力するしかないです。

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